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#4 ジャパンカップとあれこれ

by Keiba Channel

えおはようございますえ今日は第4回の 中吉ボーリングラジオをこれから始めさせ ていただきたいと思います えー僕の今日はですねえこのポートボール に来て38年経つんですがそれよりも23 年前の え 1985年第1回の東京ポートボールで 行われたえジャパンカップ日米のですね トップ16名同士が集まったジャパン カップという大会を皆さんに少しお話しさ せていただき ますえこの大会は当時 の日米のトップ16名が集まってえ ラウンドロビンえ1日8ゲームを4回戦 32ゲームえラウンドロビンをしそして なおかつ最後にですねポジションマチと いう超ハードなですねえ大会が行れてまし たそれが85年をりにえ123年えこの ボーリング場であって最後が95年なん で今ちょっと待って123年って言いまし たけれど11年ですねえ第1回が85年で 最後が95年だったと思うんでとりあえず 11年間そのジャパンカップがこの東京 ポールで東京ポートボールで行われました えその当時にですねえ皆様ご存知じゃない かもしれないけど超有名なボーリング会の スーパースターえデックウェイバーって いうピートウェイバーのお父さんですね そういう方がえ参加しなおかつカルメン サルウのとかえ当時の当然16ですから ものすごいえ強いメンバーがえ顔を揃えて いただいた大会で迎に日本がも賞金 ランキング16位が要するにこの大会に 選抜されてえ32名で行われた連投ある または東京ボートボールというボーリング 場を世の中に知らした大会でもありました え1回戦が8ゲームのラウンドロビンK4 回が32ゲームになるんですがえその1回 戦に約要する時間が3時間ぐらい えそれで8名と対戦しえ第1ラウンドそれ を第4ラウンドまでえ行っていくという 大会が あ行われてたんですねこれすごい懐かしい ですねえその時にですねまあなんかわかん ないですようまくあれよあれよあれよと いう間にえ日米のえトッププロを散らして 私がなんとえテレビえ決勝トップでえ残っ てしまったんですねねこれはもう本当に無 が夢中っていうやつですよねもう自分の中 の世界に入れてえただそれがね1日8回戦 を2日間ですからま1日16ゲームをね 投げたわけですから結構ハードな大会です よまもちろん若かったですからねまだまだ 余力を残してたかもしれないんですがえ すごい頑張れた大会でえものすごくあの 思い出に残ってますもちろん先ほど紹介し たディッグエイバーとかカルベンサルビノ とか あおそらくローダウンの始まりだろうと いうマークロスっていうもう超その時 の大型プロがも国のセンターで対戦いたし ましたえですからすごいですねえ第1回で あの思い出に残る大会でえその内容 もテレビ決勝の中で え結果優勝したのは谷口たプロなんですが えテフレの壮絶な勝負になりましてえ僕が 最終的に負けたんですだからなんと1位2 位がですね日本人だとその時にはですねあ ま前から日米の差はね10年ぐらい ボリングに差があるよってよく言われてた んですがまあいっくら日本で開催されたと はいえ1位2位がフン2がですよ日本人 同士の決勝戦っていうのはえ外国人プロも ですね結構思わる結果だったんじゃないか と思ってますでまあのこの谷口 すく接戦の中でフレ勝負になりえ僕がフレ の2投目をですね持ってきたらもう260 代が確定してもう勝ちだったんですねえ 自分の世界に入りえ集中しすごいいい投球 したが残念ながら4番ピが残ったんですよ ね結果やっぱり切れが良くてえその4番 ピが残ることによってま相手に逆転の チャンスを与えてしまったんですがえ結局 まもちろん逆転されましたですから僕は第 2位で終わったんですがその逆転されずに ですねえもしそのままうまく優勝ができて いたらですねえファイアーストーントーナ メントって言ってアメリカのえ優勝者だけ が出れるトーナメントにれたんですよで その時僕はあブランズイックっていう ところに契約いたしまして え思いがありますねえ黒いボールに黒い 黄色いマークのブランズGTBっていうう ボールを使ってましたんでえアメリカの もちろん公認ボールですしってえ日本の ボールで優勝してもファイアストーンには 出れなかったんですがえアメリカのボール を使ってるということでそのファイア ストーンに出れるという条件もいいてたん ですが残念ながらえじ2に甘んじてしまっ たという本当に思い出のある大会でそれ から過去10年ぐらいですねえその ジャパンカップがありえここで開催され ました え日本人の優勝者が確か3人出てるんです よ第1回の谷口 プロ回か忘れましたけれ夫プロもう1人誰 かいたと思うんですよね誰ですかねもう 1人違いますねそんな新しくないですねあ もうちょっと初期のまあの僕 のいい加減なあの覚え方なんで非常にその 昔を思い出せって言ってももう40年以上 前のことなんで終わったらすぐ忘れちゃう タイプなんでねなかなかその思い出して 過去の思い出話しって言ってても 途切れ途切れで相ないをするに形でしか皆 さんにお話しすることができないんですが まそういう大会が過去あり非常に僕の中で えこの52年間のボーリングの中で1番 悔しいDでした えあれがもう本当に優勝してたら本当に タイトルだったんだなってうんまそういう 悔しさがまあ後々に何回かそれからもです ね優勝できたんじゃないかなとは思います やっぱりトーナメントもしくはやっぱり 自分のボーリングの中で自分の目標を達成 するためにはあやっぱりこう強い意思と やっぱり自分の世界に入れるやっぱりこう 強いメンタルっていうかその集中力僕自身 にメンタルが強かったと思わないんですが やっぱり数少ない大会でえしかあのそう いうビッグチャンスを得ることができ なかったからそういう時にはなんか無類の 自分自身の表現ができたプロの方なん だろうなとは後々思うとですね感じること がござい ますそんなあの第1回1985年の第1回 のジャパンカップの思い出ですそうですね あのあのまもちろんワールドになれるか なれないかっていうのはやっぱり集中力が あの出せるかでやっぱり難しいコンディ ションっていうか自分に合ってたからそこ まで上位に行けたんでその時の状態って いうのはやっぱり [音楽] え自分をとにかく研ぎ澄ませばある程度 やっぱりこう信じてその自分のイメージ ですねこのコンディションに対してこう いう風な考え方からこういう女装そして こういうスイングからこういう フィニッシュまで持っていくとかっていう 全体的なイメージをやっぱり強く持てて その明治通りにやっぱり投げれるか もちろんそこにはレンコンディションの 微妙なあジャストねえアジャストしなきゃ いけない部分もありますがそういうものを 含めてやっぱりえ冷静に自分のやるべき ことを考えられるかそしてそれをこに行動 を取れるかっていう部分ですねそのために はやっぱりうなんか自分のワールドに 入れるような状況っていうのがあその時は できたんじゃないかなと思うんですねえ僕 自身 もまよく自分で昔を思い出した時に過去何 回か優勝してますが本当になんかそういう 世界に入ったのは2 回あったかなってうんもう雑音も何も 聞こえないね自分の1人の世界だけで シーンとした要するにけはお客さんもねシ として見てるわけですからそういう状況の 中で え2 回もっとあったのかもしれません優勝もし てるんだからでもなんか自分の印象に残っ てんのは2回それがあり1回は持ってきて ストライクで勝ちもう1回はやっぱり持っ てこれずに2位に余てたという状況でああ やっぱりイメージですね自分のやっぱり やるべきことをしっかりその短い時間の中 で え精神力も含めて整えられるかイメージを 持ってイメージ通り投げるかっていうこと に尽きるんじゃないかと思いますよああの 僕が練習の時によく取り入れることはです ね えやっぱりそのどんな大会でもうまく 投げれるわけじゃないしえ結構そういう 部分では僕は4歩をしたり急に トーナメント中に4歩になったり 後方に立って元気よくね大股で歩いて 大きいスイングをしながら投げるとか もちろん自分の世界の中でですようん そんな人が見たらあんまり分からないこと なんですけど自分の中ではそういう風に する一番大事にしてたのはここの立つ位 からこういう風に歩いてここのスパットで はもうポケットに行くこれはもうできたと そこのところから右に3枚に3枚に立って もそのスパットによからポケットに持って いくというのはよく練習しましただから 要するに自分の形の中から外された時に どういうことが必要でアジャストになる かっていう部分は僕の場合はスピードだっ たりとかえボールを曲げようとかそういう 部分ももちろんある中でそういう歩いて いく方向性ね要するにの違いを持つことに よってアジャストするっていうのが1番 思ますうんじゃやっぱり自分のこの決まっ たイメージのところからそれた時にいかに 対象するかっていうのが優そうですね基本 はやっぱりもうそこに尽きると思うんです よねだそこに自分のそのアジャストの仕方 があスピードを出したりとか回転さして ボールを曲げたりだとかで緩めたりだとか 色々コンディションに応じてえやるこれは もうもちろんなんですもちろんの中にその 自分の1番最大にそういった要するやり方 が自分で確立された部分があるんじゃない かなとうんうんうんそれはもちろん今でも やってます うんそうですねあの初めてアメリカ行った 時からやっぱりその当時のスーパースター はデックウェイバーさんですよねうで もちろんものすごくその時代時代に残あの 名を残してる人がおりますからあそれで やっぱりあのまあ日本にそういうことは僕 はなかったと思うんですがそのアメリカ 行ってて練習してる時に向こうのコーチ から今年はこういうことが流行りなんだよ ねとかみんなこういうことにトライしてる んだよねとかっていう風にその年年にその なんか流行りがあるというようなことを 聞いたことがあったんですよああそうなん だやっぱりそんなことって日本ではあんの かなってえ思いあのそういうものはどうな んですかて言ったらまはやっぱり アジャストの仕方みたいなものなんです けれどそういう部分でこう練習するで僕が まあ何回かアメリカ行ってる中で えうわこいつすげえなって思ったのは トミージョーンズっていううんあのま僕ら から考えたらもう相当若くなってきてえ 息子ぐらいの年のボーラーなんです がまひょこひょこと練習してるとこに現れ てま簡単にその当時彼ももう今で言えば やっぱりもうローダウンの初期型でしょう うん相当そういう意味ではもうすごい ボールを投げてたただま今振り返るとそれ もすごいボーリングだったんだけど今の 若い人たちのローダウンっていうのは もっとそれを超えてるんだろうなもしくは 両手投げは超えてんだろうなただやっぱり 最終的にストライクコースまたはポケット ゾーンにボールを集められなければ結果 意味がない部分もありますからねだから そういう部分で あのまトミジョーンズなんかはやっぱり ポケットに対するアジャストはなんか すごいその技を持ってるんだなっていうの は感じましたそれに並行してまあ今 ちょっと出た両手投げなんかではねええ やっぱりすごく今1番強い両手投げの選手 誰だか分かりますか今は誰だろう門戦とか ですかあもうちょっともうちょっともっ ベルモンテですかそうですね僕なんかは やっぱりあのここへ来てジャパンカップだ とかいろんなここであのトーナメントやっ た時にベルモンテぱ1番そういう意味じゃ あ両手投げのアジャストっていう部分に 限ってはああうまいな [音楽] で片片手投げというか普通のボーリングの 中でまあの先ほど名前を出したデック ウェイバーの息子のピートウェイバー なんかでもやっぱり見てるとその本当に ポケットに対するアジャストが上手でえ彼 なんかの場合は本当にフィーリングって いうかイメージに違ったものを体が勝手に 完成で直してくだからフォロースルを見 てるとフロースルのこう手がこういつも 違うんですよねいうそういう状況で やっぱりイメージ通り投げられなかった 部分が自分の体がイメージがあるがゆえに そのイメージと違った時に自分の体が アジャストしてるという部分ではやっぱり ピートウェバーのアジャストジェイソン ベルムてのを両手だけすとこれはその当時 抜きに出てるなとえまもちろん今もっと すごいボーラーもいるんでしょうただ やっぱりなかなかもうその時代までの我々 はしか見てないもう今の人たちは我々から 考えたらもう別世界えその分だけやっぱり 見る機会ははっきり言ってなくなってます からうん あのだいぶ こう違いというか時代の差年齢の差そいっ たものを諸々感じますねえ今日第4回の中 ボーリングラジオなんか取り止めないない あの色なになしまいましたえ今日ちょっと アメリカの話もしたんでえ次回またあの アメリカの奮闘期そういったものの話を またしたいと思いますんで是非えお聞きに なって くださいでは次の会でお会いしましょう はいどうも次のでよろしくお願いします [音楽]

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